再訪
先日、関節の痛みを訴えるついでに歯医者(矯正)の定期診察に行ってきました。
そして口腔外科を紹介してもらい、そこでは手術はいつしたのかと訊かれました。
(笑)
帰りに丁度良かったものでしたから、2回目の手術をした病院に行って参りました。(用もなく入りました。)
私が持つイメージよりも、全体的に規模が小さく感じました。
が、確かにあの病院でしたね。
石碑とか、車道、食事処、フロントの待合室、ほとんど変わっていませんでした。
とても懐かしい気持ちになり、行って良かったと思います。ふらっとノリで寄りましたが。
私は最近、昔よく遊んだ場所を観に行ったりもしたのですが、
懐かしいというよりは、地元の地域性を見て、この土地の将来を憂いてしまいました。
それに比べて今回の自分からは、何とも純粋な気持ちを生温かく感じられたのは収穫です。(笑)pureです。
いろんな病院に通いましたが、好きな病院と嫌な病院がありまして、ここは好きの方でしたね。
近くを調べたら美味しいラーメン屋があったようなので、梯子、梯子で食べて帰ろうと思ったら定休日でした。また今度。
小言、小事です
言ってはいけない 残酷すぎる真実 (新潮新書) https://www.amazon.co.jp/dp/4106106639/ref=cm_sw_r_cp_api_mbUUxbSKKVXB9
こちらより引用。
>>②赤ん坊の質に問題がある場合。多くの社会で奇形児は幽霊か悪魔と考えられており、出産直後に殺される。
いや何でもないけど。読んでたら出てきたので。
奇形児って言葉のインパクトは受けましたよね。
だってそう書いてある。
もしこういう国で産まれてたら殺されてたのか?っていうとそういうカテゴリではないのかも知れない。
でも口唇裂はそうなような気がする。
日本でもミツクチというらしいですし。
口唇裂といってると故・中川昭一さんを思い出します。
以前ネットの何処かに彼が口唇裂だと書かれていました。
真偽は知りませんが、別に嘘でもないでしょう。
言われてみれば特徴的な口もとでした。
違ったらごめんなさい。
アルコール依存症とか言われてましたが、そのメンタリティがこういうとこから来てたら興味深いですが、
まあ関係ないでしょうね。
私も口蓋裂だけなら、他人より多少多くの病院に罹ったり、面倒があったぐらいです。
奇形児と呼ぶのは重い感じがします。
しかし今思えば、客観的に幼児の気持ちを推し量れば、
緘黙のきっかけの一つにはなったのかなと思います。
というか母がそう言ってました。
前にも書きましたが(?書きましたっけ?)私はきっかけは覚えていません。
ちなみに歯列矯正はかなり大変でしたけども。
そのうち書きます。
ちょうど今、顎の関節が痛くて困っています。
歯列矯正の真っ只中にも、口が開かなくなったことがあります。
あのとき以来の違和感ですが、自然に治まるのを待っていますが、、。
もう一つ
緘黙より以前に私は口蓋裂という先天異常を持って産まれてきました。
奇形児ってやつです。
2歳のときと、6歳か7歳のときの夏休みに手術しました。
2歳は覚えてませんが、2回目までは口から鼻が繋がってましたね。
今でも喉のところで普通に繋がってますが、もっと前歯側にもう一つ穴がありました。
小さかったですが。鼻水とか抜けてきます。
1回目の手術で小さくして、2回目で完全に塞いだのです。
この単語は母が教えてきました。
確か小6から中1にかけての春休み、このときいろいろあったから、そのときだったんじゃないかと思います。
いろいろは後で書くのかな??
多分このときより辛いときは、その後無かったと思う。
ちなみに口唇裂でないので見た目はわかりません。
このブログを始めた理由
前々からいつかは書かなければいけないと思っていました。
使命感というか。笑
でもまだ書く気持ちになれない。
気持ちを整理する段階にない。
正直思い出したくないし語りたくない。
っていうのがあってずっと手をつけてなかった。
ここにきて気持ちの変化があったのかといえば全くそんなことはない。
いつかその気になるのを待たずに、今立ち向かわなきゃ駄目だと思ったんだ!(笑)
待っても来なさそうだし。
体験としては少なくとも普通ではないから、残しておくのは何か私の役割のような気がするのです。
しかし割と辛いです。記事2つ書いて、結構さらっとした内容なのにもう結構しんどい。
こういう風に言うのは悪いことかも知れませんが、今まで本当にいろんなことを考えてきて、孤独だったし、辛いことが多かった。
私のせいじゃないし、誰も理解してくれないし、誰にもぶつけられない。
やっぱり回想しない方がいいのかな。
気長にやってゆきます。
どんな子供だったか
私は幼稚園の途中から中学1年の終わりまで、学校で一言もしゃべりませんでした。
正確には、友達と一緒にいるときや少数の集まりでは話すことがありました。
しかし、授業中に皆の前で話したり、先生に何か言うということができませんでした。
そういうことを求められる場面、例えば授業で答えを言うように当てられる場面などでは、ただただ黙っていました。
すると学校の先生は、私がそういう子だということを知っているので、「誰か助け舟を出してあげて」などと言って、私が隣の席の子に筆談して代わりに発言してもらうというような、そういうやり取りを毎回していたんです。
中にはスルーする先生もいましたし、対応はいろいろなのですが、基本はこういう代理をしてもらう的なやつでした。